創業者プロフィール

創業者 西山傳平

前会長 西山繁

弊社は大正12年の創業以来100年の歴史を重ねております。鉄鋼二次製品の販売店としてスタートし、前会長 西山 繁の卓越した経営手腕と先見性により、現在のコイルセンターへと飛躍的な発展を遂げて参りました。しかしながら、弊社の歴史を語る際には、大正・昭和の激動の時代を生涯鉄の世界に身を置き、その功績を残した創業者西山傳平を抜きにすることは出来ません。

西山傳平は、明治34年10月4日に山梨県東山梨郡春日居村(現在の笛吹市)に製糸工場経営者の長男として生まれました。生糸価格の暴落により家業が立ち行かなくなったことから、進学を諦め地元の製糸工場の職工として奉公した後、起業を目指し東京浅草の飯島商店に就職、これが鉄の世界に入るきっかけとなりました。

関東大震災直後の大正12年9月27日に、東京都荒川区尾久で釘等の販売を手懸ける西山銅鐵店を創業、念願の経営者の仲間入りをしました。

昭和10年には合名会社西山傳平商店を設立、戦後は長男の前会長西山繁とともに会社の発展に尽力し、現在の弊社の礎を築き上げました。

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その手腕は若い頃より業界関係者から高い評価を受け、31歳で亜鉛鉄板商組合の初代会長に就任、爾来各種業界団体の要職を歴任することとなりました。昭和36年5月に東京鉄鋼販売業連合会初代理事長に就任、昭和38年6月には東鉄連浦安鉄鋼団地協同組合初代理事長に就任しましたが、在任期間中に他の役員と協力して浦安鉄鋼団地の実現に向けて奔走することとなりました。浦安鉄鋼団地は昭和44年の完成までに6年間を要する大事業でありましたが、完成に至るまでの組合理事長としての功績が認められ、浦安市見明川に架かる橋が「伝平橋」と名付けられました。

西山傳平は弊社並びに明治鋼業(株)の発展に尽くすと共に、業界諸団体役員としても活躍し、その功に対し勲四等瑞宝章等を受章しています。

また、故郷を愛する気持ちが人一倍強く、春日居町の小中学校への奨学金「西山賞」の贈呈や、公民館や橋の建設資金の寄付を行う他、同郷の医師小川正子女史の詠んだ短歌「夕富士の山のいただき紅の雲ふきたてて風たつらしも」の歌碑を建立しています。奨学金贈呈に対しては、育英事業への私財寄付の功労として紺綬褒章を受章しています。

平成6年1月24日に鉄と共に生きた天寿を全うし享年92歳で永眠しましたが、同年2月24日に大本山増上寺大殿で執り行われた当社・明治鋼業・明治通商の合同葬儀には、業界関係者を始め約2000人もの弔問客にご参列いただきました。

団体公職歴

昭和25年5月

神田鐵栄会初代会長

昭和27年5月

東京鉄鋼製品商業協同組合理事長

昭和36年5月

東京鉄鋼取引改善委員会(現東鉄連)初代会長

昭和38年6月

東鉄連浦安鉄鋼団地協同組合初代理事長

褒章・叙勲

昭和36年10月

育英事業への私財寄付の功労により紺綬褒章

昭和44年10月

産業功労者として黄綬褒章

昭和50年4月

勲四等瑞宝章

エピソード

傳平は52歳でゴルフを始め、58歳でシングル入り、10年間に亘りハンディキャップ8を維持しました。昭和58年2月には、82歳で鷹之台カンツリー倶楽部において、アウト43、イン39、トータル82で回り、エージシュートを成し遂げました。